なんとか ブログ開設1年 をこえました。これもひとえに、皆様のおかげです。
ご あ ん な い
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またいつものコラムみたいな日記でござんス。
若い頃、血気盛んな頃、
「ん~なもん、何が悲しゅてウタバンなんかせなあかんねん!」
とか言ってた頃。
でもラジオから流れる歌は好きだった。
英語があんまり得意でないことも有って、
流れる歌はボクにとっては
「何か言葉を喋ってるように聞こえる楽器の一種」
でした。
メロディーとコードとリズムの絡みさえわかれば充分で、
「そこに意味の有る言葉」は存在理由が無い、と。
だから、日本語の歌は大嫌い。
英語はたまにわかる時が有るからあんまり歌詞は聞かないように。
ポルトガル語なんかはさっぱり何のこっちゃわからん。
だからブラジル音楽が好きだったのかも。
それが歌詞を聞くようになったのは、
意外なことにドリカムから。
NHKの朝ドラのテーマを聞いた近所の人が、
「何歌ってるかわからへん」と言ってはったので、
一回聴いてみると…わからんかった…
通常の我々の会話で使われるイントネーションやら文節
それらを一切無視したようなメロディー。
これじゃ「何歌ってるかわからへん」のも納得と。
じゃ「何歌ってるか、ようわかる」歌は?
と、戦後の歌謡曲ををひもといてみると、
数々のお亡くなりになった名作曲家と言われた方達の歌は
「見事に」会話のリズムで歌になっているではござりませんか。
「韻をふくむ」って、中学校の漢詩でやったよなぁ。
ということに気付くのに10年かかってるし…
「じゃスタンダード、ポップスも?」
と見て行くと…
今までメロディーとコードとリズムの絡みだけでは理解できなかったものが、
歌詞を絡めると「あらま!」簡単に理解できることが数多く…
なんだか随分遠回りしたような気もするけど、まいいか。
最近、Cメロの譜面作る時は、なるべく、歌詞も入れるようにしています。
そういえば、キースジャレットのスタンダードトリオは
リハーサルでメロディーとコードの確認ではなく、
全員で歌詞を確認するとかしないとか。
話を聞いた時は「んなアホな!」と思ったけど、
今なら理解できるなぁ。
でも、日本の歌も、アメリカの歌も、
1950/60/70/80 年頃にくらべてつまんなくなった。
これは散々言われてることやけど。
それを、メロディーとかコードから分析した人はいてるけど、
歌詞の方から分析した人って居てるんやろか?
当時の歌詞は、
「言われただけでときめく」ような、
「歌じゃなければ恥ずかしくて言えない」ような、
「とってもキザな」言い方とか、
そこには「凡人の日常」では無い世界が有りましたわ。
なんせ「プロの作詞家」というものが存在しましたからね。
いまは、ほとんど居ないんじゃないですか?
それゆえ、今の歌詞ときたら、
隣の中学生の日記みたいな文章ばっかり。
だから、「これならオレでも(私でも)できる」とばかりに、
次から次へと…
なかにし礼/戸倉俊一 とか、もう現れないかな。
Richard Rodgers / Oscar Hammerstein II とかも。
というようなことを、
お菓子ポリポリしながら、暑さで仮死状態になって書いてみました。
若い頃、血気盛んな頃、
「ん~なもん、何が悲しゅてウタバンなんかせなあかんねん!」
とか言ってた頃。
でもラジオから流れる歌は好きだった。
英語があんまり得意でないことも有って、
流れる歌はボクにとっては
「何か言葉を喋ってるように聞こえる楽器の一種」
でした。
メロディーとコードとリズムの絡みさえわかれば充分で、
「そこに意味の有る言葉」は存在理由が無い、と。
だから、日本語の歌は大嫌い。
英語はたまにわかる時が有るからあんまり歌詞は聞かないように。
ポルトガル語なんかはさっぱり何のこっちゃわからん。
だからブラジル音楽が好きだったのかも。
それが歌詞を聞くようになったのは、
意外なことにドリカムから。
NHKの朝ドラのテーマを聞いた近所の人が、
「何歌ってるかわからへん」と言ってはったので、
一回聴いてみると…わからんかった…
通常の我々の会話で使われるイントネーションやら文節
それらを一切無視したようなメロディー。
これじゃ「何歌ってるかわからへん」のも納得と。
じゃ「何歌ってるか、ようわかる」歌は?
と、戦後の歌謡曲ををひもといてみると、
数々のお亡くなりになった名作曲家と言われた方達の歌は
「見事に」会話のリズムで歌になっているではござりませんか。
「韻をふくむ」って、中学校の漢詩でやったよなぁ。
ということに気付くのに10年かかってるし…
「じゃスタンダード、ポップスも?」
と見て行くと…
今までメロディーとコードとリズムの絡みだけでは理解できなかったものが、
歌詞を絡めると「あらま!」簡単に理解できることが数多く…
なんだか随分遠回りしたような気もするけど、まいいか。
最近、Cメロの譜面作る時は、なるべく、歌詞も入れるようにしています。
そういえば、キースジャレットのスタンダードトリオは
リハーサルでメロディーとコードの確認ではなく、
全員で歌詞を確認するとかしないとか。
話を聞いた時は「んなアホな!」と思ったけど、
今なら理解できるなぁ。
でも、日本の歌も、アメリカの歌も、
1950/60/70/80 年頃にくらべてつまんなくなった。
これは散々言われてることやけど。
それを、メロディーとかコードから分析した人はいてるけど、
歌詞の方から分析した人って居てるんやろか?
当時の歌詞は、
「言われただけでときめく」ような、
「歌じゃなければ恥ずかしくて言えない」ような、
「とってもキザな」言い方とか、
そこには「凡人の日常」では無い世界が有りましたわ。
なんせ「プロの作詞家」というものが存在しましたからね。
いまは、ほとんど居ないんじゃないですか?
それゆえ、今の歌詞ときたら、
隣の中学生の日記みたいな文章ばっかり。
だから、「これならオレでも(私でも)できる」とばかりに、
次から次へと…
なかにし礼/戸倉俊一 とか、もう現れないかな。
Richard Rodgers / Oscar Hammerstein II とかも。
というようなことを、
お菓子ポリポリしながら、暑さで仮死状態になって書いてみました。
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